以前の私は、周りからの評価や、他人が羨ましく感じるなど、ついつい第三者を意識してしまう毎日でした。
その結果、息苦しさのようなものを感じていて、仕事や対人関係がうまくいかない時期がありました。
そんなときに出会ったのが本書である「嫌われる勇気」です。
タイトルだけを見ると、他人から嫌われるようにすればいいのかな?と思ってしまいますが、本書が語る内容は「他人の考えや評価をコントロールできないのだから、気にしても仕方がない」というもの。
今回はそんな「嫌われる勇気」について、私なりの感想や読み終わってからの経験などをお伝えしていきます。
目次
「嫌われる勇気」のあらすじ
まずは「嫌われる勇気」についてレビューしていきます。
この本は、フロイトやユングと並んで心理学の父とされる「アルフレッド・アドラー」の思想を元に、対人関係や性格などに悩みがある青年と哲人が討論する、対話形式による5つの話題で構成されています。
むずかしい言葉も多く、ややとっつきにくい印象を受けますが、読んでいくとするするあたまの中に入ってくるので、全体的には決して読みにくい専門書のような難解さはありませんでした。
第一夜:トラウマを否定せよ
第二夜:すべての悩みは対人関係
第三夜:他者の課題を切り捨てる
第四夜:世界の中心はどこにあるか
第五夜:「いま、ここ」を真剣に生きる
わたしなりの解釈の元に、それぞれ詳しくお話ししていきます。
第一夜:トラウマを否定せよ
青年は自分にたくさんのコンプレックスを持っています。
それ故に、人はそう簡単に変われないと哲人にかみつきますが、それは真逆の考えであることを説きます。
ひどいコンプレックスやトラウマなどの過去の経験が今の自分を形成したように考えるのではなく、これからどう生きるか、どう生きたいかの目的に沿って行動することが重要であると。
ここがアドラー心理学の骨子である「目的論」になり、人は原因があるからそうなるのではなく、自らの行動が結果になることを提唱しているのです。
たとえば、奥さんとうまくいかないから離婚したいのではなく、離婚に向けて奥さんと不仲になるように行動する、といった形です。
第一夜ではトラウマを否定することで、前に進めることを教えてくれています。
第二夜:すべての悩みは対人関係
第二夜では、人間が持つ悩みはすべて対人関係のものであると題して、二人の話し合いが進みます。
対人関係の悩みが発生する主な原因は「優越性の追求」であるとして、他人よりも自分の方が優れていると上に上に押し上げようとする考えや行動が、いらぬ誤解や争いを招くと哲人は言っています。
そこで生まれるのが劣等感で、理想に近づけないとき、自分は他人よりも劣っているのだと思い込んでしまうのです。
ただ、劣等感そのものは決して悪ではなく、受け取り方次第では努力へのエネルギーになるなど、プラスになる一面も持っています。
本当に悪いのは、劣等感を理由にして言い訳をする劣等コンプレックスで、「力がないからあいつに勝てない」といった形で自分を擁護してしまうことです。
こうなってしまうと、言い訳に甘えて自分自身の成長は見込めない、ダメ人間になってしまうわけです。
本書では、そうならないために「人生のタスク」をこなすようにと伝えています。
人生のタスクとは、仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスクの3があり、それぞれこのように説いています。
仕事のタスク・・・仕事における対人関係の形成と維持
交友のタスク・・・友人との対人関係の形成と維持
愛のタスク・・・恋人、親子の対人関係の形成と維持
仕事のタスクがもっとも簡単で、続いて交友のタスク、そして最もむずかしいとされるのが愛のタスクです。
これらすべてを解決することで、対人関係での悩みは消え、劣等感に苛まれることもなくなるであろうというのが第二夜です。
中には3つのタスクを避けようと、何かしらの理由をつけて行動しない人もいるでしょう。
アドラー心理学ではこれを「人生の嘘」と言い、3つのタスクに向き合うためには勇気が必要であると哲人は青年に語ります。
第三夜:他者の課題を切り捨てる
第三夜になると、「他人からどう見られているか、逆に自分は他人のことをどう見るのか」、このことについて2人の間で議論が交わされます。
人間は誰しも承認欲求をもっており、他人から認められたいと期待に応えるような行動を取ってしまうものです。
しかし、アドラー心理学ではこれを否定しており、誰かの期待に応えるために生きているわけではなく、応えようとするからこそ自分自身ががんじがらめになって、身動きが取れなくなってしまうのです。
もちろん、自分の期待を他人に押し付けてもいけません。
では、承認欲求から逃げるためには、どうすれば良いのでしょうか。
その答えは「課題の分離」にあります。
課題の分離とは、自分の課題と他人の課題を混同しないように理解することで、それぞれを切り離して考えれば人と人のトラブルは防げると哲人は説いています。
たとえば、部下に指導するように指示するのは「上司の課題」ですが、指導するのは「あなたの課題」です。
上司の期待に応えようと、あたまごなしに怒りつけるのでは部下の成長にはつながりませんし、なによりも部下には根に持たれるでしょうから、対人関係の悩みができてしまいます。
そうではなく、指導の仕方も考えて行うことで、まったく別の結果が生まれることを意識して、自分の課題に上司を介入させないようにするべきなのです。
承認欲求=人に嫌われたくないことの表れですから、だれでも認められたくて行動してしまいがちです。
しかし、他人の考えや欲求をコントロールすることはできないので、「嫌われる勇気」をもってそれぞれの課題を切り離し、自分が変わることで結果的に周りも変えていこうというのが、アドラー心理学の大きな特徴です。
第四夜:世界の中心はどこにあるか
第四夜では、自分は世界の中心であると考える青年に対して、哲人が共同体の1人であることを諭します。
人間は分割できない存在として、個に分けて考えるのではなく、大きな1つの生き物として考えることが重要です。
そうすることで隣人が同じ場所にいる仲間という認識を持つことになり、皆が皆「同じではないけれど対等」という考えを持つことができます。
この考え方を「共同体感覚」とアドラー心理学では称していて、自己中心的な考えばかりを持っていては他人への興味関心が低くなり、仲間から孤立していく結果しか招かないと伝えています。
重要なのは、すべての他人と自分は横につながっていると理解することです。
見た目や性格、考え、人種、性別などさまざまな違いはあれど、同じ横にいる仲間だと認識することで、自分の居場所がここであると帰属意識を持てます。
そして、他者に何かを与えるべきだと説いているのです。
課題の分離の部分で、それぞれの課題を分けるべきだと話していましたが、このように他人に介入することをアドラー心理学では否定しています。
それなのに何かを与えるべきだと伝えているのは、介入ではなく援助だと考えているからで、この援助を「勇気づけ」と呼んでおり、勇気づけによって生まれるのは他人からの感謝や尊敬です。
上司や部下に「ありがとう」と言われれば、上も下もない、1つの共同体であると強く認識することができ、ようやく自分という存在に価値が生まれるのです。
第五夜:「いま、ここ」を真剣に生きる
第五夜、嫌われる勇気の集大成がこの章に要約されています。
青年は他人の目が気になって、自分らしくできないと悩んでいますが、それに対して哲人は、共同体感覚が得られていないことを指摘し、3つのアドバイスを青年に送ります。
・自己受容
・他者信頼
・他者貢献
1.自己受容
自己受容とは、自分は自分であるとして、できないことを受け入れて前に進むという考え方です。
変えられないものと変えられるものを見極め、変化できるものは変化させてしまおうというもの。
ただし、自分を変えるためには勇気が必要です。
それについて、与えられたセンスや能力だけに頼るのではなく、勇気をもって行動するべしと哲人は教えています。
2.他者信頼
2つめの他者信頼は、他人を無条件で信用しなさいという考え方です。
無条件で信用すると、裏切られる恐れがあると警戒してしまいますが、裏切るのは他人の課題であり、自分にはどうしようもなく、それでいて関係のないことです。
こちらから厚い信頼を寄せることで深い絆で結ばれることになり、仲間の意識が芽生え、共同感覚を得ることができるのです。
3.他者貢献
そして3つめの他者貢献は、共同感覚に欠かせない、仲間に貢献しようという考え方で、仕事が最たる例だとして哲人は語っています。
自分が仕事で相手を助けたり、家族を養うことができるなど、他社に貢献することで共同感覚がよりはっきりと得られるようになります。
このように、貢献感をもって行う行動にこそ幸福感を感じられるとして、承認欲求によって得られる幸福感は本当の幸せとは言えないと哲人は青年に説きました。
わたしたちは「いま、ここ」にしか生きることができません。
1秒先のことすら不確定なことであり、それに向けて計画を練ることなど不可能です。
アドラー心理学では、過去や未来に縛られて生きることは無意味でしかなく、それこそがまさに人生最大の嘘であるとしています。
今見えている世界を変えることができるのは自分しかおらず、自分がその世界に与える力はとても大きなものです。
それを理解した青年は、哲人と一緒にいることを決心し、「嫌われる勇気」は幕を閉じます。
まとめ:嫌われてもいいわけではない
本書では、随所で「嫌われる勇気を持とう」といった言葉がでてきます。
これをストレートに受け取ると、別に嫌われてもいいんだなと思いがちですが、実際のところは違います。
嫌われてもいいという考えは、相手に不快に思われようが何しようがどうでもいいという思考になっており、より自己中心的な世界を形成してしまう恐れがありますが、嫌われる勇気を持つことでむしろその逆の効果を得られるのです。
課題の分離や自己受容の過程では、他人から嫌われることもでてくるかもしれません。
しかし、結果的に得られるものは仲間意識などの共同感覚であり、その先にあるものこそが幸せです。
つまり、「嫌われてもいい」と「嫌われる勇気」は似ているようで異なり、最終的なゴールの部分がまるで違います。